ベトナムの親族観念あれこれ

ベトナム人と結婚するとその親族との関りが結婚生活を左右するといっても過言ではありません。特にベトナムに住んでいるとその部分が顕著でして、ここを自分なりに上手く操縦できるかどうかが結婚生活の上で重要なことかと考えます。今回はベトナムにおける親族の観念についてお話します。

内の親族、外の親族

ベトナムでは同じ親族でも「ウチ(nội)・ソト(ngoài)」で区別をします。早い話が夫側の親族は「ウチ」、妻側の親族が「ソト」となります。これは日本でいう「嫁ぐ」という観念(今の時代はそうじゃないかもしれません)と同じで、「ウチ」の親族のほうが「ソト」よりも優先される社会です。

例えば旧正月(テト)では旧暦の1月1日に当たる日は「ウチ」の親族同士だけで集まる、または挨拶周りなどをし、「ソト」の親族は通常2日以降(親族以外の挨拶もこの日以降)でなければ会いません。他にも何か家族ぐるみで大きな決定をする場合も基本的には「ウチ」の親族がその決定権を持っており、「ソト」の親族が口を挟むようなことはありません。

この風習が根付いた環境で育ったベトナム人と一緒に生活をすると(つまり私の妻)、事あるごとにその感覚を知る機会があります。まあ私の場合はベトナムに住んでいて、私の身内(ウチ)と日ごろ接する機会がありませんので、どうしても妻の身内(ソト)との関りが多くなるわけですが、妻にとっての「ウチ・ソト」の身内(義父側の親族、義母側の親族)の関りを見ているとそれがよく理解できます。

quê gốcかどうか

(家族とジジババの食事会。実際はこの規模は珍しく、たいがい+αの親族が同席している)

ベトナム人の配偶者をもったときに相手の実家が「quê gốc」なのかどうか聞いておくのも一考かと思います。実家が地方であればその可能性は高くなります。「quê gốc」とは日本語だと昔から住んでいる「地の田舎」といったところでしょうか。今の時代でさえ少なくなってきていますが、その地域では同じ集落内で結婚して家族を形成していくことがよくありますので、近くに住む親族の数が膨大になります。もし結婚して「quê gốc」に住むことになると日ごろから親族との関りは増えることになるでしょう。

妻の実家も「quê gốc」なので妻も誰か分かっていない親族に実家で会うことがよくあります。知らない人だけど辿ったら実は親族だったというのもよくある話です。

日本人がベトナム人と結婚すると必ずといっていいほど相手の身内に関する話が話題に上がります。特に日本で自分の身内と広く深い付き合いのない環境で育った場合は色々戸惑うこともあるでしょう。私の中ではこれを「ベトナム人と結婚した洗礼」と勝手に呼んでいます。

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