実家をリフォーム、ちょっと寂しい

母から実家をリフォームするので私物で不要なものがあるならこれを機会に処分してほしいと連絡がありました。私物はベトナムに来る前に本当に必要なもの以外はほぼ処分してきたので大して捨てるものもないのですが、いよいよ実家を建て直すときが来たかといった感じです。今回はベトナムに関連のない話。

古い家だったので

(観光地では決してないが、それに近い町並みが当時はあったように思う。写真はイメージです。)

私の実家は代々立て直したりしながら住んできている家ですが、今の家は確か築50年ぐらいだったかと思います。耐震構造が現代の基準で全然満たしておらず、雨漏りやなどかなり家のガタもきていたので、南海トラフたるものが来たときはイチコロだろうということで父の定年を機にリフォームに踏み切ったようです。

昔からある家なんで子どもの頃に家の中の物を色々探っていたら面白いものを発見できたのはいい思い出です。時代劇に出てくるような四角い穴の空いた銭なんかがいっぱい出てきたときはテンション上がりましたし(あの銭どこいったんかな?)、土壁の納屋には小学校にあった郷土資料室に置かれていたような用具がそのまま放置されていたりしたものです。その納屋は取り壊してガレージにする模様。

庭も100年以上はあるといわれる柿の木を筆頭に桃やよく分からない柑橘系の木、松などなかなかバラエティに富んだ木があります。アジサイやキンモクセイ、ツバキなどその時々の季節を表す花もたくさんあります。でもって庭の一角に咲き乱れる彼岸花は今から思うとちょっと不気味。その庭も1階の部屋を拡張するために大部分を撤去するんだそうな。亡くなった祖母がかつて柿の木を切ったら悪いことが起こると言ってました。昔の人に多い木の精霊信仰ですが、はてさてどうなることやら。

余談ですが京阪沿線にある萱島駅はホームに楠が貫通しているんですが、あれも当時は切る予定だったのに工事中にことごとく事故が起きたから断念したと祖母が言ってました。因みにその手の信仰はベトナムにも似たようなものがあるそうです(妻談)。

ちょっとセンチメンタルな話

来年の春先には新しい家が完成しているようなので、このままいくと私が生まれ育った実家を見納めするということはできなさそうです。次に帰国するときには同じ土地にあるとはいえ、全く知らない家に帰省するということになります。コロナがなければ後何回かは実家に帰って思いを寄せることもできたでしょうに。。。

私の実家がある地域は昔からある村(といっても今は街)で私の実家は当時の名残を部分的に残しているような家でした。似たような感じの家は他にもたくさんありましたが、時代と共にどんどん近代的な家に姿を変え、今となっては古い町並みと思われる光景もずいぶん少なくなったように思います。私が学生のときに嗅いでいた古い町並独特の匂いも今ではすっかり感じることはなくなりました。

次回帰省したときは新しい家ならではの快適さを感じることはできるのでしょうが、自分が全然知らない家に帰省するというのは果たしてどんな感じなのでしょうか。少し物寂しい感じがします。

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