ベトナム人の寄付精神から我が身を振り返る

先日こんな記事を読みました。

人助けをしない日本人に「グローバル人材」は無理 英語力以前に「見識と教養」が決定的に足りない

寄付とかボランティア活動をしている割合が2年連続で最下位レベルとのこと。調査対象国数が大体世界の半分ぐらいの国のようですが、色々な経済レベルの国が調査対象になっているみたいです。まあ最下位とは思いませんでしたが位置的に下位にいるのは何となく知ってました。色々な国にいる(いた)日本人たちから日本人はボランティアや寄付精神が低いという話をよく聞いていましたし、私自身を見てもそんな感じはしていたからです。というわけで今回はベトナムの寄付事情について。

有志の寄付が多い

ベトナム人が寄付をしているところは度々目にします。自然災害といった大規模なもので組織的に援助を募ることはもちろんありますが、それ以外に個人個人の有志の寄付が日本よりも多いという印象です。

例えば、私の住むマンションで掃除のおばちゃんが就業中にバイクを盗まれるという事件がありました。ゴミを捨てるためにバイクをゴミ捨て場横に置いていた時に盗られたようです。監視カメラで記録が残っていましたが30秒程度で取られていましたのでかなり慣れた犯行でした。この場合盗られた場所が駐車場内ではないので警備の責任はなく、また清掃会社としても補償はしないとのことです。

しかし清掃の仕事というのは1か月の生活費ギリギリの給料程度なので、新しいバイクは簡単に買うことができません。そもそもバイクがなければ仕事にも行けない、結果職を失うことになる、同じような目に遭う人は全国でもそれなりにいるものです。こういったときに住民が有志でそのおばちゃんに対する寄付活動を起こし、最終的にはその寄付で安い中古バイクを買えるぐらいの額が集まったんだそうな。後日寄付をしてくれた家に1件1件おばちゃんがお礼に回っていたようで、私の家にも妻が寄付(10万VNDぐらい)をしていたので訪れていました。

他にも5-6年前ぐらいでしょうか、千葉県でベトナム人の娘さんが日本人変質者に殺害された事件を受けて「少しでも遺族のためになれば」ということで、当時私が勤めていた会社が入っているビルの全会社向けに有志の寄付活動をしていました。これも結構な額が集まっていたそうです。

こんな感じであげればキリがありませんが、面識のある人ない人問わず、ベトナム人は何か心が動いたときに寄付やボランティア活動に走る人の割合が多いのかなと個人的に感じています。

感化されたというわけではないけれど

かく言う私も寄付精神が乏しい類の人間でして、ベトナムに来て以降色々考えさせられました。

・自分より明らかに金銭的に貧しい人でも寄付をしているのはなぜか?

・寄付をすることによってどういった気持ちの変化が出るだろうか?

・そもそも慈善活動は頭で考えてするものではない?

などなど。そういうことを考えるんなら実際にやって悟ればいいということで、数年前から毎月10万VND程度の寄付活動を細々とやっています。対象は特に決まっていなく、そういう機会があったときに積極的に行うというものです。一応今現在ベトナムに生かされている部分もありますので、それに対する一種の恩返し的なところもあるのかなぁと。生活困窮者だけではなく、施設維持の寄付など意識するとそれなりに候補があるものです。

あとやっぱり自分の基礎を作ってくれた日本にも恩を返す必要があると思いましたので、一時帰国の都度暇を見つけて寄付や慈善活動にも目を向けるようになりました。

今の時点では正直自己満足のレベルです。誰のためというか自分のためみたいなところもあると思います。ここからまた先の境地に至ることができるのだろうかと自分自身を観察中です。

>