恋人の有無を聞かれたときのベトナム語の返答から文化性を考えてみる

ベトナム人に恋人がいるかどうか聞かれることがよくあります。異性の場合は下心があるケースもなきにしもあらずですが、それが特別不快に思われるというようなことは特にありません。今回は恋人の有無を聞かれた際の返答について考えてみようと思います。

まだ恋人はいない

恋人の有無についてのやり取りで以下のような定番のフレーズがあります。

A「Bạn có người yêu chưa?」 (恋人がいますか?)

このAの人の問いかけに対して恋人がいない場合以下の2パータンの返答が一般的です。

①「không có. 」 (いません。)

②「chưa.」(まだです。)

①については「いる、いない」の返答ですので違和感はありませんが②については少し日本語と照らし合わせると違和感があります。考えられるシチュエーションとして、年頃でそろそろ恋人ができ始めるような年齢のときぐらいに、まだ自分にはいない。「まだです。」といった感じでしょうか。

しかし恋愛歴が多数ある人でも現在いなければ「まだです。」と答えることもあります。とりあえずその辺りの返答事情について嫁に確認してみました。

私「どうやって使い分けてるの?」

嫁「そんなん意識したことないから分からん。」

まあこんなもんでしょう。母国語の微妙な使い分けなんてのはノンネイティブほど考えないものです。

一人の恋人、1回の結婚

そこで少し私なりに解釈してみますが、かつてのベトナム(てかほんの数十年ほど前)では「恋人ができる=結婚」だったので、そもそも一人恋人ができることによって結婚はほぼ確定という見方ができたのではないかと。自由恋愛ではなく親が見つけて来た人と結婚という時代だったわけですし。

なので「結婚をしていますか?」に対して「まだです」というのと同じ意味合いで使われているんじゃないのかという解釈です。「結婚」について「まだ」と答えるのはベトナム語でも普通ですし、これは日本語のやり取りでも特に違和感がありません。ただこれは本人が(または社会的に)結婚は当然するものという概念を前提とした返答の仕方になります。

ベトナム社会では日本と比べ「私は結婚する気がない」と公言している人はほとんどいません。なので結婚する前提で、その前に恋人ができるという共通のステップがあるから「まだです」という返答の仕方が成り立つのでは?というふうに考えました。つまり「恋人」と「結婚」が密接に結びついているという観念です。

嫁にそのことを話してみると「ふ~ん、いわれてみればそうかもね。」と言ってましたが、あくまで個人の勝手な推測で学術的な根拠は全くありません。

将来(数十年後)結婚が絶対の価値じゃなくなった場合に「まだです」という返答の仕方がどうなっていくのか興味深い所です。

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