ベトナム語を学んで日本語を知る

ベトナム語を勉強していると改めて日本語を知ったり考え直す機会を与えられます。今回はそんないくつかある機会のうちの代表例2つを紹介します。

そもそも日本語とベトナム語の関連性とは

ベトナム語って日本語と接点がない気がしますが、実は双方とも中国起源の言葉を取り入れていますので、間接的につながっていたりします。なのでベトナム語もある程度のレベルに達すると中国語起源の言葉、つまり漢字起源の単語が頻出するのですが、これは日本語の漢語に通じるものがあるので改めて意味を学ばなくても想像できる機会が多く、そこから爆発的に語彙が増えていくからくりがあります。これは既に漢字を習得している日本人がベトナム語を学ぶ際の大きなアドバンテージとなっており、いわゆるベトナム語初級者と中級者の語彙力に雲泥の差がある一つの理由となっています。

さて、そんな日本語とベトナム語の関係ですが、以下のような体験がありました。

青と緑は同じ色?

青と緑は同じ色かと聞かれるとほとんどの人は違うと答えるでしょう。ただ日本人であれば緑を青と表現することも馴染みがあるかと思います。代表的なのは信号機でしょうか。正に「青」な信号機も世の中にはありますが、これは「緑」では?と思う信号機のほうが日本には多いと思います。子どものときに「なぜこれは緑信号と言わないのか?」と周囲の大人に聞きまくっていた記憶がありますが、何かしら適当にはぐらかされていたのを覚えています。「青りんご」についても似たような類です。正に「青」だったら食べる気しないですね。

日本語でもともと「緑」は色を表す言葉ではなかったようで、「若々しい」とか「生命力のある」といった意味合いを持つ言葉だったんだそうな。なので若い女性の艶のある髪を「緑髪」といったり赤ちゃんのことを「嬰(緑)児」と言っていた時代があるようです。そう考えると「青い」や「赤い」、「黄色い」といった形容詞があるのに対し「緑色い」といった使われ方がないのは合点がいきます(まあ他の色でも形容詞化できないものはありますが、多分各々歴史的な認識事情があるのでしょう)。

一方でベトナム語ですが、こちらも「青」「緑」はどちらも「màu xanh」と表現されます。とはいっても当然ベトナム人は「青」と「緑」の区別がつかないというわけではありません。通常 「màu xanh」 と言えばそれは「青」を意味しますが、改めてその場に緑がある場合は「緑」の意味になります。逆に「青」と「緑」の両方がある場合、または視覚的な情報がない状況などで「緑」と伝えたい場合は「màu xanh lá cây」と言います。 「 lá cây 」は木の葉を意味し、直訳すると「木の葉色の青」といった感じです。

色の表現として「青と緑」である点、また軸が「青」である点は偶然なのか。それともどちらも中国起源なのか?と勝手に想像していますが、正確なところは分かりません。どなたかご存じの方がいましたらご教示ください。

叔父と伯父

日本語で「おじ」を表現する際に二通りの漢字がある「叔父と伯父」。使い分けは以下の通り。

叔父:親兄弟の弟にあたる方。ベトナム語では「chú」←正確には父親の弟

伯父:親兄弟の上にあたる方。ベトナム語では「bác」←正確には父親の兄

そのことは知っていてもいざ自分が書く時に「どっちがどっちだっけ?」となることがしばしば。しかしベトナム語を学んで以降、それで悩むこともなくなりました。単純な話、伯父の「伯」は音読みで「ハク」、ベトナム語の 「bác」 と音が似ているので、それで整理ができるようになりました。これも推測ですがどちらも中国語起源の言葉なのかなぁと思っています。

他にも似たような事例がいくつかこれまで学んできた中でありますが、こんな形で日本とベトナムの共通点を知るのも興味深いものです。

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