日本の替え玉受験から考えるベトナム社会

日本で就職活動の替え玉受験が問題とされたニュースがありました。

“替え玉受験”初逮捕は衝撃でも…「ウェブテストは自力で解くべき」が就活生に響かないワケ

私が大学生で就職活動をしていたときにもWebテストというのはありましたが、当時は替え玉云々とかは聞かなかったように思います。ちょうどWebテストが世間に出始めたぐらいの頃で所謂SPIという就職活動のための試験勉強を適当にやっていました。某外資系の企業でこのWebテストを受けたときの話、試験突破した就活生が知っている限りきれいに一定の学歴以上だったことがあります。この時は同じ横並び同士で「試験は名目で単純に学歴フィルターをかけているのでは?」なんて憶測が出ていました。

さて、上のリンクで発言している就活生で少し気になったコメントがあります。

「さすがに替え玉はやり過ぎかな、とは思いますが、今の就活生はカンニングがやりたくてやっているわけではない。不正行為がダメなことは誰でも分かっている。ならば、なぜ、やるのかと言えば、そうしないとテストを突破できないからです。例えば自力で取り組んでも、結局は、不正行為で受験した就活生の方が得点が高いので採用されてしまう。つまり、真面目な学生ほどバカをみるわけで、不正行為をやらざるを得ない状況にあるのです」

どこかで聞いたようなフレーズだなと思ったらベトナムでした。替え玉受験についてではなく、社会的な不正行為についての話です。この「真面目な学生ほどバカをみる」というのは不正行為を正当化できるわけでは決してないのですが、不正行為が蔓延った環境下では自分もそうしないと生き残れないという感覚が生まれるんでしょう。

比較的クリーンな日本からベトナムに来ると、そのような不正行為に悩まされる機会がそれなりにあるものです。また自分の周りの人に対してそういった習慣を是正する機会も立場によっては求められます。しかしこれが中々難しくイマイチ反応が悪いという経験をした人も中にはいるでしょう。

不正行為を肯定する気はありませんが、それが蔓延している環境になると人はそれに合わせた思考回路になりやすいのかと。良いことも悪いことも環境に左右されるのがよく分かります。

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